「山彦」(鈴木三重吉)

もしかしたら何かの暗喩なのでしょうか

「山彦」(鈴木三重吉)
(「千鳥」)岩波文庫

病身の姉を訪ねた「自分」は、
その山間の村で
五日間の夏を過ごす。
奥の間のの天井裏から
一束の古い手紙を
見つけた「自分」は、
姉にも告げずにそれを隠れ読む。
その手紙は
ちゑという娘から民という青年に
宛てられた恋文だった…。

児童文学者で作家の
鈴木三重吉の短篇です。
本作品は三重吉の第二作であり、
故郷・中国地方の豊かな自然とともに、
若い「自分」の初々しい心象を
見事に描出した作品となっています。
ところが、
何度か読み返したにもかかわらず、
何を伝えようとしているのか
よくわかりません。
筋書きとしては
五日間の滞在日記のようなものです。
そこで事件は起きません。
描かれていることで大きなものは
三つです。

一つめは滞在二日目の朝、
屋敷の裏の社に供え物を運んでいる
姉を見かけることです。
その仕事は代々家の女房の仕事であり、
それ以外の人間が供えることは
許されない、
先代の奥方は二十七で亡くなったこと、
自分が嫁ぐまで三十年間
供える者がいなかったこと等を
知るのです。
二つめは粗筋で挙げたように、
四日目、過去の手紙を見つけます。
そこに、この家に嫁いだ女は二十七で
死ぬ云々という一文を見つけます。
そして三つめは五日目、
裏山にあるこの家の墓所を訪ねて
墓石に目を移すと、
二十七で亡くなった女性の名を
三つも見つけてしまうのです。

だからといって、祟りを取り上げた
恐怖作品などではありません。
この二十七で亡くなる女の多いことと、
嫁いだ姉は病弱であることに
どのような関係があるのか、
さらにはそれが本作品において
どんな役割を負っているのか、
皆目見当がつきません。

そして「自分」と姉の繋がりも不明です。
もちろん姉弟であることに
間違いはないのですが、
描かれ方はまるで恋人のようです。
嫁ぎ先の主人が現れないこと、
姉はもっと長く滞在して欲しいと
涙まで流して引き留めること、
狭い一間で布団を並べて寝ていること、
等々、久しぶりに会って
懐かしいからだろうと言われれば
それまでなのですが、
この描かれ方は気になります。
終末にはこんな一文もあります。
「ほんとにあした帰る気か、と
 膝に手をかけてさし覗く」

このような身体接触は
弟への態度としては
不自然なようにも思えるのです。

もしかしたら
何かの暗喩なのでしょうか。
作者三重吉は自身を「自分」に置き換え、
そして実ることのなかった
自らの恋の相手を「姉」に仮託し、
美しい小説へと昇華させた。
そのように考えることは
できないでしょうか。

作品中には七八つの頃に
親しくしていた女の子・お絹さんを
回想する場面もあります
(なぜここに挿入されているのか
理解できない部分です)。
古手紙の「民」なる青年は、
何らかの事情で「ちゑ」という娘を
遠ざけなければならなかったことも
示されています。
決して実ることのない恋。それを
「他家へ嫁いだ」「病身の」「肉親」の、
三重の壁の立ちはだかる
「姉」という女性との
ひとときの繋がりとして描いたと
考えるのは、うがち過ぎでしょうか。

三重吉の師である夏目漱石も、
想いを寄せていた女性の死を、
家人の世話のまずさから
死なせてしまった飼い鳥に重ね合わせ、
暗号のような作品「文鳥」として
仕上げています。
本作品は漱石の「文鳥」と
似た構造なのではないかと思うのです
(ただし本作品は1907年発表、
「文鳥」はその一年後の1908年発表)。

本作品も再読し咀嚼することが
求められる短篇なのでしょう。
時間を置いて、
再び出遭いたいと思います。

(2022.4.27)

Robert BalogによるPixabayからの画像

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